「ごめん」で済むなら警察はいらない(柳原 浩 編) へ寄稿

氷見事件の国賠訴訟について(地元から見る冤罪118ページ~)              松永定夫

私は氷見国賠訴訟の被控訴人を国、県に限らず捜査の過程で被疑者扱いを強いてきた担当の刑事や検事をそのまんま国賠訴訟の相手にしている事が至極自然に思えてなりません。
私が2004年に出版した書籍『謝れない県警』(桂書房刊)の中に登場する警察官はすべて実名で記載しており、関係者の責任を厳しく問う意味合いを持たせています。
あることでプライバシーの侵害を受けた私は県警(富山県)を本人訴訟で訴えました。しかしながら、赤子の手をねじるが如く一審では簡単に負かされてしまいました。
この勢いに乗じてか、県警は私がプライバシーの侵害を根拠として訴えた警察官が私の勤め先に出向き、私の人物調査を行った事の正当性をアピールすべく全くデタラメな準備書面を提出しました。その結果、私は自分を守るためにどうしても『謝れない県警』という本を出版しなければならない状況に追い込まれました。
県警が提出した準備書面では、私が八尾署に出入りしていた経過や内容について細部に記録されておりましたが、その経緯において日時こそ合っていたが「・・約2時間30分にわたって同一の質問を繰り返し、なかなか帰ろうとしなかったが、・・」などと事実とは全く異なることを記していました。実際には20分程度の滞在であり同一の質問を繰り返してなどいませんでした。同様な水増し時間の記述箇所が3箇所も重複して記述されており、私を徹底的に異常者であるかのような印象を裁判官に与えるために作成された虚偽公文書と言わざるをえません。この準備書面が勝訴の発端に繋がったと確信しております。
面会で担当した警察署員はそれぞれ一人でしたが、準備書面は組織的に追認したものであり軽んじられるものではありません。その意味合いから警察組織は虚偽公文書を作成した犯罪者集団組織と言っても過言では無いと考えます。
控訴審裁判では、この様な虚偽の準備書面に対抗して、最後の反論準備書面における主張や、私の証人尋問の機会において真実の証として証拠提出した八尾署で会話した時の電子録音データーが決め手となり、県警が作成した準備書面は完全に否定されることとなり、逆転勝訴判決に導きました。
 以上のような私の事例と柳原さんの冤罪国賠裁判とでは意味合いにおいて違いがありますが、警察の署員らが関わった不当な扱いに対しては警察・検察組織の責任のみならず、担当関係者の責任を含む国賠請求を断固として支持し、県警・検察が過ちを認め謝罪するまで応援を続けさせて頂きます。